「セルフケア」を介護に活かす③~ゆだねて生きる~
新緑がまぶしい季節ですね。行く先々で花が咲いて本当にきれいです。鳥がさえずり、まるで歌でも歌っているかのようです。躍動する生命が動き出す、生物たちの楽園。それが、5月ですね。
散歩をしながら、ふと思い出すのが、中学生のときの「ある事件」です。走り高跳びで”過去最高”の挑戦をしていたある日のこと。先生がまず、高跳びのバーをかなり高くにあげて「これをみてみろ!」その瞬間、私は「あ~、なんて高いんだろう」と心の中で思っていました。次に、先生は、バーを適性の高さに下げて、「これをみてみろ!」と言いました。今度は、「あれっ、意外と飛べるかもしれない」という気持ちになり、うなづく私。
そして、馬のごとく!?駆け出して、助走。いざ、ジャンプ! 過去最高の高さをクリアしたのです。ところが、拍手と同時に、それは、「ブチッ」という音と共に、悲鳴に変わったのです!着地したマットに少し溝があったようで、そのまま転倒。私はそのまま病院へ運ばれてしまったのです。どうやら、靭帯を切ったようです。
病院に数週間通ったある日のこと。朝、TVを見ていると「本日、医師無免許運転で逮捕された○○病院の△△院長は・・」とアナウンサーが話しているではありませんか!「主治医が逮捕されるなんて!こんなことってあるのだろうか?まるでドラマみたい・・」思うように歩けずにどんどん細くなっていく右足を見ながら・・不安にかられると同時に、なぜだか
”人に頼らずに、自分のカラダをケアしてあげないと・・”という想いがわきあがってきたのです。
「失敗など何気なくしたことなどが、偶然によって良い結果をもたらすこと」を「怪我の功名」といいますよね。チャレンジした結果があるからこそ、ケガもある。そして、その結果、自分で「自分のカラダと心をケアする」習慣が生まれたのだから、それは、良いことなのかもしれないと思ったのです。チャレンジ精神が顔を出すとき、怪我はつきもの。それは表裏一体となってやってくる。だから、「セラピーモード」の私を培ってくれて、バランスを保てるようになり、物事の「良い加減」がわかってきたのだと思います。
実は、その後も「チャレンジモード」と「セラピーモード」が繰り返されてきましたが、両親の介護の際にとても役にたちました。一つは、クライミングで怪我をしたとき。そのとき、プロのスポーツ選手も利用する最新のレントゲンを撮って頂いた病院でリハビリ。何年か経って、母が骨折した際に、紹介することができました。
もう一つは、初マラソンを控えて練習していたある日。左からサッカーボール。右から大型犬がやってきて、ボールを子どもに蹴り返してあげた後、そのボールに反応した大型犬が近づいてきたので、思わずよけたら、膝をつき、ドスンと倒れてしまいました。そのときに行った病院は、数年後、父がリハビリを必要としていると感じたときに、紹介することができました。リハビリに関しては、両親の身体の症状から、かつて自分が通った病院を紹介できたのは、病院の治療の高さだけでなく、ホスピタリティや雰囲気づくりが良いところを、自分が肌で感じてきたからだと思います。
両親の介護に関しては、割り切れない、関わり方が難しいとの声が聞かれます。親の問題を自分自身に置き換えるから色々と葛藤もでてくる。また、共働きの場合、施設に預けてしまうことのうしろめたさ、かといって、自分で年老いていく両親の世話をすることはつらいし、時間的にもできないなど。そんなとき、ケアマネージャーの方から、「今の家族を大切にしてください」と言われてふっきれた・・とある女性の方が話してくれました。だから、「今、気楽、楽しいと思わないとね~」と・・。
例えば、デイサービスでは、両親の性格や趣味を理解してくれるケアマネージャーのリハビリプランがかかせないものです。人によっては、集団行動が苦手、老人扱いされるのがいやなど色々とでてくるからです。集団である以上、そこに「人間関係の問題」がどうしても関わってくる。
禅に、「照顧脚下」という教えがあります。「自分の足元をよく見よ」という意味で、もと禅家の語で、他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめよ という戒めの語。「脚下」は足元の意。転じて、本来の自分、自分自身。「照顧」は反省し、よく考えるという意味です。
私が、介護を通じて感じてきたことは、全ては、”足元にヒント”がある。特に、両親に関しては、良いことも悪いことも含めて、身近に色々と教えてくれる存在なのだ・・ということです。
先ほどの、「怪我の功名」のように、過去の栄光も、後悔も、全ての物事は表裏一体。これが腑に落ちるには、ある程度、経験が必要なのかもしれません。
数年前、ダライ・ラマ14世に見出されて16歳のときに僧侶になったというチョジュ・リンポチェの講演を聞く機会がありました。そのとき、ある男性の方が質問をしたのです。「母が闘病生活を送っています。自分はどのような態度でいたらいいのでしょうか」と・・。それについて「自分はしっかりやっているから大丈夫だよ」と伝えて両親を安心してあげてください・・と答えられていたのが印象に残っています。悲しいときは、悲しいということを受け入れてください。ただ、悲しみは不幸ではないのだと・・。「苦しみや不幸はどこから来るのか?」「それは、自分に執着するから生まれる」という仏の心を説いて下さったのです。
全ては、「手放すマインド」でゆだねて生きることが大切なのではないでしょうか。
(株)キャリパース代表
心×才能 可能性を拓く専門家
伊東明子
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